武智方寛「沖縄苗字のヒミツ」
沖縄の苗字の成立過程と変遷、近代以降の沖縄人が苗字を理由に受けた差別と偏見について述べられた本。
沖縄の社会に組み込まれた経験を持つ人なら、名前を聞いただけで沖縄にルーツがある苗字だなとわかるのではないだろうか。
沖縄のどの地域かまでも名字だけで大体わかるかもしれない。(宮古であれば砂川、下地など。石垣なら宮良、大浜)
日本で統一政権が成立したのは7世紀頃とされていて、現在の沖縄地方では遅れて15世紀に王朝が成立した。苗字も統一政権の樹立に伴って誕生していく。
沖縄の苗字は17世紀の薩摩侵攻以前は日本風の苗字で、薩摩との関わりが大きくなるに従って沖縄らしい苗字になったという。
横田→与古田
下田→志茂田
前田→真栄田
以下、興味のわいたテーマ
「大和めきたる」
琉球・沖縄史に触れると頻出するワード。この表現は、生みの親である真境名安興と、この表現を受け継いだ金城朝永と比嘉春潮らの研究をもとにしたものでよく見られる。
現在も彼らの研究を下敷きにしていると言える。
薩摩の政策で日本風の苗字を持つことを禁止されたが、それほど圧力のある命令ではなかった。一部に大和風の苗字も残る。(野崎、上原、平田)
現在通説となっている「薩摩による改姓の押し付け」論については再度検討が必要。
平民の名前の歴史
一般人の名前は以下の規則
村の名前+屋号+童名+地名のようなもの
東恩納村+泊ノ屋+こら+登川
いまの英語圏の人名のように、名前が先にくるのが特徴。
「地名のようなもの」が先祖から代々受け継がれるものであれば苗字と言えるが、平民の家系に関する資料が乏しく研究に足りない。
ピサラさん
宮古島市の平良(ひらら)という地名は、方言では「ピサラ」。本島にも同じ字の平良があるがすべて「たいら」と読む。
電話帳で宮古島市の平良さんを引くとすべて「たいら」さんであり、「ひらら」は一件も確認できない。
沖縄県師範学校の卒業名簿では、宮古出身の平良さんが「ヒ」の行に入っているのが確認できる。
宮古島では戦後になって「ひらら」さんから「たいら」さんに変わったという。
宮古出身者が生活に不便のないよう、自ら首里・那覇基準の読み替えをした結果と考えられる。
沖縄の苗字に関する研究も歴史学や民俗学、文化人類学を包摂した沖縄学の対象のひとつであることを確認できた。
特に伊波普猷、真境名安興、金城朝永、比嘉春潮らの指標を確認できて良かった。